2001-03-27 第151回国会 衆議院 本会議 第17号
、中国とは戦略的パートナーシップを確認し、韓国とは京義線をシベリア鉄道まで連結させる協議を行うなど、極東において帝政ロシアの日清、日露前夜のような外交を展開し、さらに、ロシアは聖なる我らの大国、南方の海から北極の地域まで我らの森と平原がつながるという歌詞で、スターリンの制定したメロディーを持つロシア連邦国歌を復活させ、現代のロシアにおいても、その権力の大国意識と伝統的支配圏への執着はソ連並びに帝政ロシア時代
、中国とは戦略的パートナーシップを確認し、韓国とは京義線をシベリア鉄道まで連結させる協議を行うなど、極東において帝政ロシアの日清、日露前夜のような外交を展開し、さらに、ロシアは聖なる我らの大国、南方の海から北極の地域まで我らの森と平原がつながるという歌詞で、スターリンの制定したメロディーを持つロシア連邦国歌を復活させ、現代のロシアにおいても、その権力の大国意識と伝統的支配圏への執着はソ連並びに帝政ロシア時代
御承知のとおり、もう言うまでもありませんが、日本国有の領土であって、国際法的にも実態的にも、帝政ロシア時代からスターリン時代にも何らクレームのついたことのない日本国有の領土ですから、しかもスターリンは終戦後、北方四島に米軍がいないことをたまたま奇貨としてそいつをのそのそ上がって占領しちゃって不法占領状態が現在続いているということでございますから、これは平和条約を結ぶに当たってはきちっとけじめをつけなければ
これは安政元年、一八五五年のことでございますが、また最近、ロシアの図書館でも帝政ロシア時代の日露通好条約の資料が見つかったということを言っているわけであります。 エリツィン大統領が、日ロの領土問題は今お話がありましたように「法と正義」の原則に基づいて処理、達成すると言っておりますけれども、ロシアはこのような歴史的な事実をどのように受けとめているのかということでございます。
我々は、法と正義、その言葉どおりの立場でやっていただくならば大歓迎でございまして、つまりそれは過去の長い間、帝政ロシア時代以来、日露、日ソの間にはいろいろな条約が結ばれておりましたし、そのいきさつを見れば、古文書を取り出して表に出せばおのずから明らかになってくることでありますから、そういうものをよりどころにして正義の立場において話を進めていただくということを我々は考えておるわけであります。
あるいは、帝政ロシア時代に修好条約を結んだときか何かに訓令を出しまして、千島列島のウルップ島まではロシアのものだと、こう言っていることがはっきりしているわけですから、そういうものをまず認めさせるということが手順のまず始まりなんです。 それで、一方においては交渉を続けていく、作業部会も発足させる、信頼関係をともかくつくっていくということで、両面からやらなきゃならぬ。
日ソ間あるいはまた帝政ロシア時代から考えても、ロシア、ソ連の最高責任者が日本を訪問するというのは初めてでありますから、まさしく歴史的な事実であることは間違いない、こう思うわけです。 若干、日ソ間の歴史を振り返ってみますと、今から百三十六年前に日露通好条約が締結をされ、そして七十四年前には十月ロシア革命が行われて現在のソ連政権が樹立をされた。
これは、帝政ロシア時代の被圧政民族の立場から日本海海戦あるいは日露戦争というものに対して特別の思いを抱いているそれらの国々の問題だというふうに思いますし、同時にまた、中島元文相が言われるように、一局地戦としての日本海海戦というものにおける東郷平八郎という人物についての評価もそれなりにあるというふうに思います。
しかし、帝政ロシア時代は返したことが一、二あるのです。ソ連が領土を返すというときは、非常に現実的に利害、損得を考えながら返してくる、こういう形がソ連の歴史の中には散見されるのであります。
しかし、ソ連がもうすべて領土拡張で膨張主義を続けておるかというと、そうではなくて、例えばロシア革命の直後、ソビエト政権ができましたときには、かつての帝政ロシア時代に侵略をいたしましたペルシャ、トルコ、アフガニスタンなどなどの国の領土を、奪い取ったところは返しているのですね。
○関嘉彦君 日本にとってやはり最大の問題の国はソ連だろうと思うのですけれども、このソ連というのは帝政ロシア以来いろんな歴史を経過しているのですが、この帝政ロシア時代のロシアと、それから現在のソ連との間にどれだけの国際政治上のコンティニュイティがあるか、連続性があるか、あるいは連続性がないか、これが我々ロシアを判断する場合に考えなくちゃならない問題だろうと思います。
○関嘉彦君 あなたの本では、つまり帝政ロシア時代からの連続性を強調している面が非常に強いように思うのですけれども、その連続性の面はありますけれども、帝政時代のツァーの考えの権力の行使の仕方と、いわゆるマルクス・レーニン主義に立つソビエト共産主義の権力行使の仕方とは私は非常に違うように思う。
陸軍につきましては、これは釈迦に説法でございますけれども、ソ連は帝政ロシア時代から巨大な陸軍国でございます。そういうことで、量的にはもともと圧倒していた。それに加えてソ連が近代化を着々と進めてきている。これに対して最近来アメリカは、たとえば例の緊急展開部隊の編成、さらには機動力の増大、改善等々によって対応している。
それから世界戦争、それから同盟条約による介入、それから帝政ロシア時代の領土の回復。第二次大戦のときに不可侵条約を破って日本に入ってきた。これは恐らく帝政ロシアの時代の領土の回復、そういう意味では北方領土は全然当てはまりませんけれども、大体いままでこういうケースしかない。
昭和十六年に破棄されたわけでありますけれども、帝政ロシア時代のものまでソ連がこれはおれのものだ、こう言って持ち出してくるのでありますならば、昭和十六年の日ソの平和友好条約がまだ生きておらなければいかぬと思うわけですけれども、それは全く空文化しておる。 そこで、一九五六年だったか、鳩山総理との条約調印の際にも領土問題が懸案問題として解決されなければいかぬということが含まれておった。
健全なる常識で推測いたしまして、恐らく「ロシヤ」とあるのは旧帝政ロシア時代のことであり、「ポーランド」と申しますのは社会主義国となる前のポーランドであろうと思いますけれども、全く間違いないのか、どういう根拠でそういうことを言うのかとおっしゃられましても、確信を持ってお答えする資料がないという意味におきましてお断り申し上げておるわけでございます。
ロシアの第二革命後、資本主義諸国が帝政ロシア時代の借款の返済をソ連政府に対して求めた際に、ソ連政府は逆に、資本主義諸国の反革命的干渉の事例を挙げて、損害賠償の請求を行ってきたわけであります。交渉が難航したまま第二次大戦に突入をして、いまだにその解決がなされておらない。
同じようなことは一八五五年の日本国魯西亜国通好条約、これにも、第二条に、「今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島との間に、在るへし」と、このように書いてございまして、少なくとも帝政ロシア時代のころから千島列島、クーリールというものには歯舞、色丹、国後、択捉は含まれないということははっきりいたしておりまして、日本政府はこのような定義に基づいてサンフランシスコ条約も解釈しておるわけでございまして
次に、政府資料の日本国と諸外国との間に行なわれた逃亡犯罪人の引き渡しに関する統計、このうち、条約によるものを見ると、アメリカとロシア——これは帝政ロシア時代のロシアです。それしかないわけですが、他の国とは相互主義によってやってきたんですか。どういうことですか。